オーストラリアへ(1) トム・ボウエンの足跡をたどって
初めてのオーストラリア旅行。目的はもちろん、ボウエン・テクニックです。
羽田から夜出発して、翌日の朝、シドニーに到着。飛行機を乗り換えて昼過ぎにメルボルンへ。
翌日から2日間、Graham Pennington のセミナーのお手伝いをしました。

Graham による、このセミナーの指導はオーストラリアでは、このメルボルンが最後。来年の春、4月にパート2をアメリカのサクラメントとシカゴにて、そしてカナダのトロントでパート1を指導して、次の本の執筆のため、セミナーはしばらくお休みする予定です。

セミナーの後、メルボルンから車で約1時間離れたボウエン・テクニックが始まった地、トム・ボウエンの住んでいた Geelong へ。
オーストラリアの地名は、英語ではなくアボリジニの言葉が多く、発音もちょっと想像していたのとアクセントが違ったりしました。行ってみないとわからないものですね(汗
「Healing Hands」の著者、Shirley Strachan にトム・ボウエンのお墓、

トムが診療を始める前に勤めていたセメント工場、

最初に診療していた友人の家、人が増えてきたので借りたクリニックなどを案内してもらいました。
トムの家族、トムから習ったドクターたち、トムの元患者たちにインタビューをして本をまとめた Shirley は、この家は何年から何年までトムがいて、など、本をみなくてもボウエン・テクニックの歴史を教えてくれます。
ちなみに、この右側の家、白い家は 1959 年から1963 年まで、トムが Renee Harwood から、前の一室を借りて診療を始めた家。モニュメントがある公園の向かい側にあります。

が、たくさんの人が車で来て公園前から消防署までが常に渋滞することになり、消防活動に支障が出ると苦情が出たために引っ越すことになりました。写真の左側のレンガの建物が消防署です。

その後15年間は、この大きな建物で、Renee 以外にも何人かの受付スタッフを雇って、一度に5人を診るほどの忙しさだったそうです。なんと1日65人、週に250人から300人もの人が来ていたそう。
この建物は、大きな道路に面していて裏口も広く、たくさん来ても大丈夫そうでした。
羽田から夜出発して、翌日の朝、シドニーに到着。飛行機を乗り換えて昼過ぎにメルボルンへ。
翌日から2日間、Graham Pennington のセミナーのお手伝いをしました。

Graham による、このセミナーの指導はオーストラリアでは、このメルボルンが最後。来年の春、4月にパート2をアメリカのサクラメントとシカゴにて、そしてカナダのトロントでパート1を指導して、次の本の執筆のため、セミナーはしばらくお休みする予定です。

セミナーの後、メルボルンから車で約1時間離れたボウエン・テクニックが始まった地、トム・ボウエンの住んでいた Geelong へ。
オーストラリアの地名は、英語ではなくアボリジニの言葉が多く、発音もちょっと想像していたのとアクセントが違ったりしました。行ってみないとわからないものですね(汗
「Healing Hands」の著者、Shirley Strachan にトム・ボウエンのお墓、

トムが診療を始める前に勤めていたセメント工場、

最初に診療していた友人の家、人が増えてきたので借りたクリニックなどを案内してもらいました。
トムの家族、トムから習ったドクターたち、トムの元患者たちにインタビューをして本をまとめた Shirley は、この家は何年から何年までトムがいて、など、本をみなくてもボウエン・テクニックの歴史を教えてくれます。
ちなみに、この右側の家、白い家は 1959 年から1963 年まで、トムが Renee Harwood から、前の一室を借りて診療を始めた家。モニュメントがある公園の向かい側にあります。

が、たくさんの人が車で来て公園前から消防署までが常に渋滞することになり、消防活動に支障が出ると苦情が出たために引っ越すことになりました。写真の左側のレンガの建物が消防署です。

その後15年間は、この大きな建物で、Renee 以外にも何人かの受付スタッフを雇って、一度に5人を診るほどの忙しさだったそうです。なんと1日65人、週に250人から300人もの人が来ていたそう。
この建物は、大きな道路に面していて裏口も広く、たくさん来ても大丈夫そうでした。
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